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古代ローマについて
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コロッセオ

AMPHITHEATRVM・FLAVIVM


数あるローマ遺跡の中でもっとも有名、かつ単体の構造物としてもローマ遺跡の中で最大級。計80基のアーチに囲まれた長径188m×短径156mの楕円形で、高さは約50m。面積では東京ドームの半分だが、客席の高さがあるため体積では東京ドーム0.9個分とほぼ同じ。これほどの建物が2000年近くも前に、工事期間約10年で完成したとは驚異的。後世に石材の採掘場とされたため、現在では外周は半分程度しか残っていないが、観光客用の入場口からぐるっと回って北東側から見上げると、四層構造で下からドーリス式、イオニア式、コリント式の半円柱が装飾として貼り付けられ、最上段には天幕を支えた計240本の支柱(アーチひとつにつき3本)が立っていたという創建時の威容をしのぶことができる。


コロッセオの復元模型
(ローマ文明博物館)


ローマ時代の硬貨に描かれたコロッセオ
(大英博物館)
左:竣工した80年のもの
右:軍人皇帝時代の240年頃

ラテン語のアンフィテアトルムは、劇場(テアトル)をふたつ合わせたものという意味で、原意に忠実に円形劇場とも呼ばれるが、おもに剣闘士の試合や模擬会戦、猛獣狩りなどが開催されたため、やはり日本語訳は「円形闘技場」が似合う。首都ローマにはアウグストゥスの治世に、カンポ・マルティオ(軍神マルスの野)にティトゥス・スタティリウス・タウルス円形闘技場が建設されていた。ナポリ湾の海軍基地ミセヌムから送られた水兵が操る天幕システムもすでに採用されており、暴君カリグラは観客を苦しめるため、わざと炎天下で天幕を取り払うよう命令したことがあったと伝えられる。しかし木造だったため、ネロ治下のローマの大火で焼失。そのためネロ死後の内乱を平定した皇帝ウェスパシアヌスが、ネロの建設した黄金宮殿の人工池跡地に新たな円形闘技場を着工した。竣工は長男ティトゥス治世の80年。正式名称は建設した皇帝たちの氏族名からフラウィウス円形闘技場となるが、目の前にネロがギリシャ人彫刻家ゼノドロスに作らせ、24頭の象を使役して運搬させた高さ30mのブロンズの巨像(コロッスス)が立っていたため、やがてコロッセウム(現代イタリア語でコロッセオ)と呼ばれることになる。



現在むき出しになっている構造の芯はローマ人の得意とする煉瓦と天然コンクリート製だが、建設当時は表面を装飾するトラヴァーチン大理石だけでも10万立方メートル以上が消費され、石を連結する金具の総重量は300トンを超えたといわれる。収容人数は5万人とも7万人とも10万人ともされ、全部で160箇所ある出入口から番号札で指定された座席まで、混雑なく入退場ができるよう設計されていた。ラテン語の"砂地"から派生して、現在でも同じ意味で用いられる"アリーナ"の広さは76m×46m。早逝したティトゥスを継いだ弟ドミティアヌスの治世に複雑な地下室が構築され、おかげでアリーナ全面に水を張って軍船を浮かべる海戦は不可能になった代わりに、人力エレベーターや傾斜路を駆使して、地下から猛獣を飛び出させる演出ができるようになった。出場した動物は、ライオン、虎、ヒョウ、熊、ワニ、サイ、カバ、象、キリン、野牛、バイソン、駝鳥、そしてハイエナなどなど。猛獣ショーのときは、アリーナに人工の丘や森も再現された。
観客席の前には棘の付いた金網が張り巡らされ、柵の上には回転する象牙のローラーが設置されていた。ライオンや虎が逃げ出そうとしても、前足を滑らせて乗り越えられないようにするため。それでも突破した猛獣は、待機している射手に撃ち殺される運命だった。



ローマ時代から地震や火災で幾度となく被災したコロッセオは、五賢帝のアントニヌス・ピウス、セウェルス朝のエラガバルスアレクサンデル・セウェルス、軍人皇帝時代のデキウスなど、歴代の皇帝によってそのたびに補修され、ときには数百日にも及ぶ闘技会が開催された。デキウスの主催した猛獣ショーのときには、地下室から同時に放たれた百頭のライオンが一斉に咆哮を上げたため、ローマ市中が沈黙に包まれたと伝えられる。
しかしキリスト教の普及とともに(ようやく)人道的観点から剣闘士の戦いを批判する意見が高まり、404年には試合を中止させようとした修道士テレマクスが観客の投石を受けて死亡する事件が発生、西ローマ皇帝ホノリウスは剣闘士競技の禁止を宣言する。蛮族を恐れて海港ラヴェンナに宮廷を避難させていた暗君ホノリウスの命令では即効性はなかったようだが、それでも剣闘士の試合は438年、皇帝ウァレンティニアヌス3世の治下を最後に断絶。コロッセオは猛獣狩りの舞台としては西ローマ帝国滅亡後も使われていたが、これも523年、イタリア半島を支配していた東ゴート王国のテオドリック大王のときが最後となった。こちらは人道的理由よりは、むしろ多数の猛獣を輸入・飼育しておく財力のある主催者がいなくなったことのほうが大きいのではないかと思われる。


マリウス・グラネ
『ローマ、コロッセオ内部の眺め』
(ルーヴル美術館)
Marius GRANET
Vue interieure du Colisee a Rome
1804

中世以降のコロッセオは、もはや地震で被害を受けても修復されることもなく、アリーナの地下室は土に埋もれ、観客席のてっぺんは草木が生えるままにされていた。民衆には古代の太陽神の神殿跡だと思われ、商人たちが勝手にアーケードとして利用。サン・ピエトロ大聖堂の改築を構想した教皇アレクサンデル6世(在位1492年〜1503年)によって財源として競売にかけられたり、教皇シクストゥス5世(在位1585年〜1590年)には毛織物工場に改造されそうになったりしたこともあった。コロッセオ修復のための土石の除去作業が、古代ローマに心酔したフランス皇帝ナポレオン(在位1804年〜1815年)の占領下で、鉄球を足に付けられたイタリア人の囚人による強制労働で始まったというのは皮肉。「コロッセオがあるかぎり、ローマは存在するだろう。コロッセオが崩れるとき、ローマは滅びるだろう。そしてローマが滅びるとき、世界もまた滅亡するだろう」という有名な言葉も、英国の詩人バイロンが1818年に言ったもの。しかし統一イタリア王国成立後の1875年には、アリーナを覆っていた土砂も完全に取り除かれ、現在のように地下構造があらわにされた。

| MONVMENTA(遺跡) | 11:21 | comments(3) | trackbacks(0) |
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コメント
コロッセオ
| コロッセオ | 2019/07/10 8:19 AM |
加藤亜実
| 秋谷綾乃 | 2019/07/10 8:19 AM |
木村風花
| 大武理菜 | 2019/07/10 8:19 AM |
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