FORVM PACIS

古代ローマについて
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平和の神殿

TEMPLVM PACIS

フォーリ・インぺリアーリの模型
(フォーリ・インぺリアーリ・ビジターセンター)
いちばん手前が平和の神殿

ウェスパシアヌスのフォルム、平和のフォルムとも表記され、フォーリ・インぺリアーリ(諸皇帝の広場)を構成した公共広場のひとつだが、東端にあった神殿の名をとって、ローマ時代から平和の神殿と呼ばれていた。ネロ死後の内乱を終結させて皇帝となったウェスパシアヌスが71年に建造。三方を列柱に囲まれた庭園のある正方形の広場で、ローマ軍が各地から持ち帰った宝物や暴君ネロのコレクションが一般公開された、いわば古代ローマの美術館。裕福なローマ人が貴重品の保管室としても使用していた。ユダヤ戦争の戦利品でありティトゥスの凱旋門にも描かれた七枝の燭台メノラも、ここに380年以上の永きにわたって飾られていたが、西ローマ帝国滅亡間近の455年、ヴォンダル族の王ガイセリックがローマを略奪したときに失われた。
皇帝セプティミウス・セウェルスの治世には、首都ローマの縮尺1:240の精密な地図を151枚の大理石板に刻んだフォルマ・ウルビス(Forma Urbis)が壁に掲げられた。その断片は1562年に最初に再発見され、残念ながら現在一般非公開だが、古代のローマ市を再現したイラストや模型の元資料になっている。


平和の神殿の跡地

西ローマ帝国滅亡後の中世には土に埋もれてしまったが、文献から平和の神殿の名は知られており、ルネサンス期にはフォロ・ロマーノ内の巨大な三連アーチ遺跡、マクセンティウスのバシリカがそれだと信じられていた。19世紀の調査で遺跡の位置は特定、しかし20世紀に入ると、ムッソリーニの首都改造計画により「ファシスト党本部のあるヴェネツィア宮殿からコロッセオが見えるように」という理由で敷設されたフォーリ・インぺリアーリ通りに大半を覆われてしまう。他のフォルムの建造者(カエサルアウグストゥスネルウァトラヤヌス)は前面の歩道にブロンズ像が立っているのに、ウェスパシアヌスはフォルムに皇帝名が入っていないからか、ひとりのけ者。
フォーリ・インぺリアーリを訪れるなら、メルカート・トライアーノ(トラヤヌスの市場)内の博物館も必見。発掘された遺物や、各フォルムのローマ時代の想像図、それらが西ローマ滅亡後に荒れ果てた様子まで展示されている。


平和の神殿の再現図
(メルカート・トライアーノで購入したポストカード)

| MONVMENTA(遺跡) | 19:52 | comments(0) | trackbacks(0) |
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